アーユルヴェーダ

知的過失

日本アーユルヴェーダスクールに通い始めて4年を越えました。この春には卒業です。

最終段階なので、哲学的な内容の講義が続きます。

先日は青山先生の講義。アガスティアの葉に関する著書などで有名ですが、
アーユルヴェーダ学会理事で「大いなる生命学 アーユルヴェーダの精髄」なども
お書きになっています。

インド哲学思想から、キリスト教思想、宇宙論までを織り交ぜながらの奥深い講義。
講義の題は、「知的過失」

そもそも私たちという生命がどうなりたっているのか。
私たちの思考・感情などなどはどこから生み出されるものなのか、そして、
それを制御するのは可能なのか、その束縛から解放されるものなのか。

こう書くといかにも難しい哲学問答みたいですよね。
これを理解するには、まだまだかなりの時間が必要です。
実際、頭の中は完全に放心状態になっていました。

アーユルヴェーダは医療で、健康について述べている学問ではないの?と
思ってしまいますが、人の心と体の健康を本当にとらえるためには
私たちの精神や身体がどのように成り立っているのかの理解が不可欠です。
精神の働きが身体に影響を与えます。だから、そもそも精神とは、ということろまで
アーユルヴェーダでは取り扱っているわけです。

その一部をちょっとご紹介すると、知的過失。
人間は、判断力・忍耐力・記憶力の欠如によって知的過失をし、
知的過失によって、人は不幸に陥るというお話。

例えば、
ついさっきご飯を食べたところなのに、おいしそうなケーキを見て食べてしまって
苦しくなった
といった行為は普段とてもよく起こる出来事ですよね。

ここに、判断力と忍耐力と記憶力の欠如が現れているわけです。

まず、ご飯を食べてお腹がいっぱいなら食べるべきではないという判断力の欠如。
食べたいという欲求があっても、今はその時でないから我慢するという忍耐力の欠如。
さっきご飯を食べたからお腹がいっぱいであるという記憶の欠如。

この3点セットによって、人は誤った行動をとってしまって、
健康を害する道を進んでしまうということなんです。

これは食べ物だけの話ではなく、色んな事に当てはまります。
講義の後は、こんなこともある、あんなこともあると、
色々と頭に浮かんでは、一人反省会状態になっていました。

最後までお読み頂きありがとうございます。
with sincere gratitude.