アーユルヴェーダについて

「幸福な人生」を探して

「幸福な人生」とは?
「幸福な人生」はどうしたら手に入るの?

だれでも一度は考えたことがありませんか?
実際に手に入れいようと追いかけ続けている人もいるかも?

「幸福な人生」を探すのは、
霧が深い森の中を歩いているようなもの。
迷子になって途方にくれてしまいがち。

そんな面倒な森の中に足を踏み入れることなく
幸福な人生というものを手に入れている人って
実はちゃんといるんですよね。
うらやましい。。。。

こういう人たちは、
自分が何をもっていれば幸福と感じるのか、
どんな状況だと幸福な気分になるのか
がちゃんとわかっているのですよね。

これがよくわかっていない人達が、
「幸福な人生」探しの森の中で
さまよってしまうというわけ。

でも、自分のことがしっかりわかっている人なんて
案外少ないかもしれませんよね。

・いつも何かが足りない気がする
・何かが違ってる気がする
・ここではないどこかに行きたい
といったような
漠然とした思いをもっている人のほうが多くないでしょうか?

こうした漠然とした思いをもっている人たちは、
「幸福な人生」の定義があいまいで、
何を手に入れたらいいのか、
何をしたらいいのかがわからなくて、
「幸福な人生」探しの深い森をさまようことに。

そこで、
「幸福な人生」探しの森の中から抜け出すために、
まず必要なのは、
「幸福」の定義なんだと思います。

ウィキペディアによれば、

心が満ち足りていること。幸せ(しあわせ)とも。人間は古来より幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。

「”幸福”」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より

幸福の定義については
キリスト教に根差したものや
哲学者による幸福論など
本当にたくさんあります。

はるか昔から、みんな真剣に
「幸福」について考えてきたのだなぁと思います。

実は、私も森をさまよって、
いろんな幸福論の本を読んだ時期がありました。

どの本を読んでも、
ほぉ、そういうことか!と深く納得しましたけど、
納得できても
私にとっての「幸福な人生」が何かは今もわかっていないです(笑)

それでもそうした読書を通してなんとなくわかったことは、
「幸福」の定義を自分の外ではなく中にもつことが大切だということ。

つまり、
誰かの評価や、自分の外に存在する基準と照らし合わせて
自分が幸福かそうでないかを測るのではなくて、
自分がそう感じるかどうかによって判断するということ。

「幸福」であるということは、
自分が幸せだという気持ちになっていること。

だとすると、
・どういう状態だと幸せな気持ちになるのか
・なにを手に入れれば幸せな気持ちになるのか
という基準を自分の中で作り上げることが大切なんです。

そういう作業を積み重ねていくと、
「幸福な人生」探しの深い森の霧が
少しずつ晴れていくのだと思います。

つづく。

今日もよい夢を
Have a sweet dream.