昨日の続き、健康の意味。
どうしてこんなに健康という言葉にこだわるのか。
そこをお話しますね。
今、特に不調はなくて、
これからもその状態をキープしたいという方。
今の状態は健康ですね、なので、健康維持のためにできることをする。
これは、健康=病気ではない基準でお話ししても
特に問題ないですね?
では次、
病院で、治療すれば治る何らかの病気と診断された方。
病院で治療を受けて、健康を取り戻す努力をする。
この場合も、健康=病気ではない
の公式をあてはめても問題ない。
では、治療法が確立されていない難病、
糖尿病など完治が難しくコントロールすることが
求められるような病気、
あるいは、
がんのように一度かかった場合に再発が心配される病気。
こうした病気の患者さんの場合、
健康=病気ではない という前提で
健康になろうという話をすることは、
適切ではないと感じるのです。
健康=病気ではない ということであれば、
健康になるためには、病気を完治させることが前提のように
聞こえてしまいます。
それは、こうした様々な疾患を抱える人にとっては辛い通告。
病気を自分の一部として付き合っていかなければいけない人にとって、
こうした意味での健康という言葉は
ときにプレッシャーを与えたり、
病気を抱えている自分への劣等感を生み出したり
といったことが起こることがあると思うのです。
こうした疾患を抱える人は、
病院で、病気の完治は難しいと知らされたあと、
必死の思いでいろいろな治療を探し出し、
そこに希望を託して、かたっぱしから試してみて、
どれもあわず、時にはかえって体調を悪化させて
精神的にも身体的にも疲弊してしまうという
悲しい結果になることも多いのです。
もちろん、治療法がぴったりとご自身にあって
完治に至る場合もあります。
けれど、それはごく一部で、失望に終わることのほうが多い。
このように失望を経験した人たちを、健康という言葉によって
さらに追い込むようなことにならないといいなと思うのです。
病気と共存して生活しちている人たちにとっての健康とは、
病気ではない状態 ではなく、
その方にとって毎日を可能な限り快適に過ごせる状態
だと思うのです。
病気を抱えているために、
日常の中に少し不便はあるものの、
痛みなどの辛い症状がなく、
今日も楽しく過ごせた
と感じられる毎日を送ることができる状態。
健康の定義のなかに、
そんな意味も含まれるようになるといいなと思うのです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
with sincere gratitude